The Middle Age 教科書が書けない中世     | HOME |


連載#5:教科書が書けない中世〜英雄足利高氏1〜 投稿者:大島渚  投稿日:06月05日(金)11時49分44秒

さて、ずいぶん間が開きましたが連載を再開致します。
タイトルには若干毒がありますが、致死量ではありませんから大丈夫です(^^;

足利高氏(尊氏)<1305〜1358>
八幡太郎義家9代目にあたり、頼朝の直系実朝で絶えてからは、源氏の筆頭と目される
足利家の嫡流に生まれる(新田家も家格としてはほぼ同格)

さて、足利尊氏ほど有名でありながら教科書、小説のネタになる事の少ない人はいません。
私の知人の設計士の先生などは教科書に足利尊氏の名前がなかったといっています。
戦前の皇国史観によって強制的に排除され、それ以降も天皇制の微妙な扱いから、
ドラマ、小説などで扱うにはタブー的存在であった事は否めません(大河ドラマやったけどね)

しかし、史上評価の対象から抹殺されていたからといって、むやみにかばう事は禁物でしょう
この際彼のやったと思われている事をなるべく正確に捉えて、客観的評価をしていきたいと
思います。

 六波羅攻め
高氏は元服の際に14代執権高時から一字をもらい、かつ16代執権赤橋守時の妹登子を正室
に迎え少なくとも源氏の筆頭として、北条氏から恐れられつつも軽くは扱われていませんでした。

その高氏がそれまでお互いに忌み嫌っていたはずの新田と連携し、鎌倉、六波羅同時侵攻作戦
に踏み切る事になります。

高氏の波乱の人生の幕開けですがこのあたりの彼の心境はいかがなものかと・・・
楠、菊地党、新田のように、純粋に大塔の宮の綸旨にしたがい、天皇家復権を目指したものでは
無い事はあきらかです。
共通の敵「北条」打倒のため手を組んだと言うほうが適切でしょう。
高氏に武家の人気取りをしていく野望があったのは嫡子千寿丸を新田の鎌倉攻めに帯同させた
事をみても明らかです。

佐々木道誉との連携もしっかりとり、万全の態勢で六波羅に攻め込みました。
恐らく、弟の直義がいなければ彼の人生もかなり変わったのでしょうが(良くも悪くも)
高氏の欠点でもあり最大の長所が「焦らない」ということにあるかと思います。

高氏より割り切りが良い直義が兄の尻を叩くという構図がこの後続いていく訳ですが、
この六波羅攻めに関して言えば、高氏の決断ですね。

高氏はけっして凡庸ではなく、むしろ日本史上希に見る策謀家であったと思います。
(まあ、頼朝を崇拝してるし・・・)その策謀家ぶりについてももう少し触れていきたい
と思います。

・・・・ああ、全然まとまり無し・・・(全面書き直しの可能性あり)
取りあえず、次回へ続く・・・・


連載#4:教科書が書けない中世〜妖怪「佐々木道誉」〜  投稿者:大島渚  投稿日:05月24日(日)10時16分59秒

さて、お嘆きの諸兄!、硬派に始めますか(笑)
という訳で、記念すべき本編の第一回は妖怪佐々木道誉さんです!

佐々木道誉(1306〜1373)

足利尊氏といえば裏切り者の代名詞のようにいわれていた時期がありましたが、
この佐々木道誉も裏切りにおいては当時のNo.1クラスであり、また成功者でも
あります。

近江源氏の名門佐々木氏の嫡流に生まれ、「婆沙羅者」という当時の流行の呼び名に
もっとも相応しい人物、(後に歌舞伎ものと呼ばれる人たちのハシリですね)として
常に派手を好み、自分の舞台には山吹色と白のだんだらの装束を着させ“山吹備え”
として、京、鎌倉の庶民には大層人気があったようです。(この辺は後の伊達正宗も
影響を受けたとか・・)武人というよりは、洒落者として有名で、茶道、舞等の保護者
だったりします。
それでいて、足利、新田に次ぎ多くの支族を持つ近江源氏の嫡流ですから周囲に対する
影響力も兼ね備えています。

とにかく、目鼻の聞く人物でした、自分自身後醍醐天皇の一味として暗躍しつつ、鎌倉
では、14代執権高時の一のお気に入りとしてしっかり取り入ってます(高時が熱病の
せいで禿になれば、自分も法体になって機嫌をとったりしてソツがないんですね)
また、尊氏が鎌倉、後醍醐天皇と反旗を掲げた時も、両陣営に取り入りつつ、尊氏の
有利になるぎりぎりのポイントで尊氏側につくという芸も見せてます。

私は尊氏の真の理解者はこの人しかいなかったんではと思います(あるいは正成か?)
裏切りの連続を重ねた道誉も尊氏に対してだけは忠誠を尽くし、危険な役回り、損な役回り
を進んで引き受けていたように思います。
それも、「友情」とかでなく、「互いを知るもの」としての不思議な結びつきであった様に
思われます。

尊氏自信矛盾の固まりのような人物ですが、その矛盾を知り得たのは、道誉しかいなかった
のでは?(直義じゃあ、だめでしょう)だから、最後兄弟相争う事態になっても尊氏側を
離れず、すっかり忠臣の顔になったりしてます。

うーむ、ここでは書ききれませんねこの人については・・・(力不足・・)
取りあえず、次回足利尊氏編(2回予定)でもふれますし、その他の人物評でもちょろちょろ
出てきますんで、今回はこんなもんで


連載#3:教科書が書けない中世〜序文III〜 投稿者:大島渚  投稿日:05月08日(金)15時59分01秒

なんか、過分なお褒めのお言葉を頂戴し、恐縮しております、突っ込みの方も遠慮なく
お願い致します、そんな訳で第3回、序文を終らせましょうか・・・・長すぎやな(笑)

さて、輝かしい武家政権を作り上げた鎌倉幕府も、成立当初から、平家のそれも亜流の北条氏
にとって変わられてしまいます。この北条氏の簒奪(そこまでのものではないが)については、
二代執権義時と政子の兄弟が活躍するのですが、とにかく、すごい人たちです。・・この二人
の日本史において果たした役割といえば、ある意味、頼朝に匹敵するか、それ以上かも知れま
せん。
和田氏をはじめ、頼朝以来の功臣の粛正は当然ですが、承久の乱では直接天皇家をぶったたく、
といった荒業を成し遂げています。(ある意味、官軍の完敗って日本史の歴史上この承久の乱
が最初で最後かな?)
なんといっても、実の父親から、息子二人(2代頼家、3代実朝)まで血祭りにあげた人達です
からなんたって半端じゃありません。
まあ、この話はかき出すと先に進めませんので(笑)いずれ、場所を改めていつか書きたいと
思っております。

さて、先に進めます、御成敗式目で有名な3代泰時、囲炉裏の火のエピソードで有名な5代時頼
等の名君の治世により安定期を迎えた鎌倉幕府も、元寇には深刻なダメージを受けました。
完全な防衛戦であった為御恩と御奉公の関係が成立しなかったのです。
先に書きましたが、あくまで認められて成り立っている政権ですから、契約の一方的破棄は
その存在意義そのものを揺るがす大事となりました。

しかし、それでも、暗君とされている14代北条高時の登場まで余生を保ち得た原因として
天皇家の弱体化が大きな原因としてあります、詳細は本編で触れますので簡単に書きますと、
後嵯峨天皇の後継者争いに収集をつけれなくなった天皇家は、愚かしくも北条執権家に調停
を依頼し、その結果、持明院統と大覚寺統の2派による10年毎の皇位交代という調停を
受け入れざるを得なくなりました。
それ以降、武家の統制どころか、逆に執権家の統制下に屈するという状態が続きます・・・

そして、後醍醐天皇という、破格の天皇を迎えるまで天皇家は力なく、幕府に操られていきます。
また、源氏の一族も平氏の北条家の統制に身を屈しながらも、足利家、新田家という、八幡太郎
義家以来の二つの名家に、それぞれ、英雄たる兄弟を得ます。更に、近江源氏の名門佐々木家に
も一人の妖怪、いや、傑物を得ます。

鎌倉幕府の崩壊〜南北朝の動乱期を駆け抜けていった英傑達がやっと登場致します。
そんな訳で次回より本編に入ります。

第一回はちょっとここまでの流れとは逸れるのですが個人的思い入れとリクエスト(笑)に
お応え致しまして、妖怪佐々木道誉さんでいきますか。


連載#2:教科書が書けない中世〜序文II〜 投稿者:大島渚  投稿日:05月01日(金)22時12分29秒

まだ序文です(笑)、日本史になじみの薄い方からのリクエストにお応えして、
背景をもう少しだけ掘り下げてみる事にします。

前回に軽く触れた、源氏と平氏の事ですが、清和天皇、桓武天皇という二人の
天皇からの子孫〜皇族を臣下に落としたんですね〜の事を一般にそう呼びます。
それぞれ、当初、天皇家の番犬だったわけですが、源義家が関東において、
強固な地盤を固めた事により源氏の関東における威信は強大なものになります。
また、草深い関東に根を下ろした事により、土着の武家(といっても豪農ですね)
との距離も縮まり、脱貴族化が進みます。

ちなみに、武家が貴族を凌駕したのは、平清盛が最初ですが、彼は貴族になって
しまったのでこれでは意味がありません。
やはり頼朝さんが、貴族の経済的基盤をひっくり返したことから、武家の天下が
始まったと見るのが当然ですね。(荘園の収入を奪ってしまったのです)
さらに、鎌倉という関東での政権という地理的要因も大きく、武家の貴族化回避
に大いに役立ったわけです。

そんな、武家にとってすばらしい功績を残した頼朝さんですから、認められて、
わしが頭領であるっといばれたんですね。
ここで重要なのは、あくまで、認められたという事が大事です、日本を武力に
よって統一した訳ではないのです。
だから、北条氏の政権に実質とって変わられた隙もあったし、承久の乱の際、
政子さんが武家をまとめあげた事で、認められてしまったんですね。

鎌倉3代将軍実朝を殺した後、将軍職は完全に「幕府」の建前上必要な看板に
成り下がり、皇族を借りてきては、適当に将軍職につけていたのですね。

そして、北条氏は平家なのですが、執権という幕府の最高長官として、軍事
政治の両面を司り、武家の頭領代行という地位を世襲していきます。

なんか、なかなか本題に入れませんが、後一回序章をやった後、南北朝の
人物評に入りますので、もう少しお付き合い下さい(笑)

次回予告・・・・北条氏の天下とその崩壊〜源氏のロードバック・・・・

3代泰時、5代時頼、8代時宗をはじめ、優秀な人材が続いた事も、北条家
の天下を100年強続かせた、大きな原因ですが、


連載:教科書が書けない中世〜序文〜 投稿者:大島渚  投稿日:05月01日(金)00時14分22秒

最近馬鹿ばっかりやってる大島渚でございます。
人様の連載をうらやんでないで私も連載などを一つと一念発起の上
恥をさらしつつ「やめろ!」といわれるまでは続けるつもりの長編
連載を開始致します(笑)


教科書の書けない中世〜序文1〜その背景

さて、中世です、でも中世ってなんでしょう?・・・・歴史的言葉の定義は
あえて触れませんが、私はこう思ってます、
「農耕の進化などにより庶民の生活にゆとりがうまれ(遊べる人間=武士が出てくる)
人々の暮らし方に自発的変化の生まれた時期」
あ、自分でも良く分かりませんね(笑)
でも、生産に余剰が生まれる事から、社会が成長するというのは一つの真理です。
つまりやくざ屋さんや、権力者のいる社会はそれだけゆとりがある事になります。

権力者もやくざ者もこの際いっしょですね、つまり働く人たちが支えていく非生産的な
人たちです。・・・・軍隊などはこの非生産的な人たちの集まりですね(笑)
ちなみに中世では軍隊と呼べるものは存在しません、まだ、そこまでのゆとりはないん
ですね生産に。
ちなみに日本の近世では武士という3%の非生産民と町人と呼ばれる同じく非生産的な
人たちを農民が支えていた時代です(笑)

えーと何がいいたいかというと、生産と消費の概念から歴史を見ると、意外と流れが
見えてくるって事です。(だから内政の概念を入れた光栄はすごい!(笑))

どんどん本題からそれていく・・・最後にまとめ(笑)
えーと・・・中世は日本社会の成熟においての過渡期でございます。
当然新しい価値観も生まれ、権力者の構図も大きく変化致します。
武士という土地に密着した権力者達が誕生しそれまでの特権階級で
ある貴族、皇族を凌駕していく時代です。
その過程において様々な人間が登場して、歴史に名前を残していきます。
源平の争乱という武士階級における血の流れによる争い〜貴族的〜の終着点であります。

もっと、泥臭い凄惨な戦いが行われていく時代です。
ですから、人間の本質のようなものがむき出しになっている社会なんですね。
非常にみんな個性的かつエネルギーにあふれています、ただし、時代の変化
に戸惑う人間も多く、みんな、大いに悩みとまどっている時代でございます。
そんな時代の魅力的な人物像を一人づつ紹介していくつもりです。

・・・・最初っからこれじゃあ後が思いやられますが、もう少し考えつつ、
まとめていきます(笑)


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