ジャン=マイケル・ビンセント
文:Matt's dog 1944年7月15日、空軍パイロット(中尉)だった父ロイド・ビンセントの任地であるコロラド州デンバーで産声を上げる。 その後、一家は郷里であるカリフォルニア州ハンフォードの農場に移る。 高校時代には水泳部員として活躍する一方でサーフィンにも熱中、その腕前はご存知「ビッグウェンズデー」で観ることができる。見事なハングファイブやウォーキングなどロングボード特有の妙技を披露する姿は、‘遊びは芸の肥やし’とでもいいたげである。 やがてベンチュラ・シティ・カレッジに進学、芸術を専攻。 卒業後、メキシコに住んでいる時に陸軍に召集され2年間の兵役義務に就く。 |
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初めはTVのCM出演を希望したJMVだったが、俳優としての才能をもつ彼のこと、6ヶ月後には「名犬ラッシー」や「ボナンザ」等の名番組に出演するようになる。 ユニバーサルスタジオでロバート・コンラッドに会ったとき彼の目にとまり、当時彼が制作していたTVムービー「ロス・バンディドス」でプロの俳優としてデビューする。 当初は専属としてユニバーサルと契約していたがフリーになり、「テキサスの七人」(68年)で劇場映画デビューも果たす。当時ワーナー社が売り出し中だったJ・カーンを主演に据え、全くの無名だったハリソンフォードやマイケルサラザンそしてJMVなどを集めたこのB級西部劇は、後に多くのスターを輩出したという意味で「アウトサイダー」みたいな位置付けができるであろう。 私生活でも69年からボニ−という女性と同棲生活を始め、のちに娘アンバーができる。70年代の映画雑誌のインタビューでは子煩悩な父としてのJMVを垣間見ることもできる。 70年代に入ると、エミー賞受賞作品となったABC−TVの今週の映画「トライブス(ソルジャーパワー/ある兵士の祈り)」でヒッピーの海兵隊役を演じ注目される。そしてファーストネームJanもついて、晴れてJMVとなるのだ。 この頃は日本未公開ながら本国では「サンドキャッスル」(72年)や 「バスター&ビリー」(73年)での演技が好評を博す。ドイツでも圧倒的な人気を得て、73年はゴールデンオットー賞、翌年もシルバーオットー賞を受賞している。また米プレイボーイ誌において74年からブラッドピットもびっくりの3年連続セックスアピールY1に選ばれる。 一方「爆走トラック76」では大型ディーゼルカーの運転に際し3週間の特訓を受けるが、自身が無類の運転好きクルマ好きであることは、後の「クライムヒート」にプロデューサーとしても名前を連ねていることでもわかる。「世界が燃えつきる日」(77年)でカワサキのオフロードバイクをカッ飛ばし、「グレートスタントマン」(78年)ではトランザムを駆って激走する勇姿は、いつか交通事故でイタい目にあうであろう予感をさせる。 そして「ビッグウエンズデー」(78年)の主人公マットジョンソンを演じたことで、彼の名は永遠のものとなった。80年代に入るとTVでの活動が増える。 日本でもS社のウイスキーやT社のクルマのCM等に起用されお茶の間での人気も獲得する。 |
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