序文 - JMV Archives Japan


図書館でふと手に取った本には“1970年代に活躍した俳優”として彼の写真が掲載されていた。

ちょっと待ったぁ!

私はオイルショックの頃に生まれている。70年代の映画をリアルタイムには観ていない。

にも関わらず、他ならぬJMVに魅せられて、こうしてHPまで作ろうとしている。彼もまた、スクリーンにTVに自伝本にと活躍を続けている。彼のファンは今なお増え続けているに違いない。

だからこそ“現在進行形のスター”として彼の情報を収集・発信しなくてはならないと痛切に感じたのだ。


因みに、図書館のその本は80年代の後半に出版されている。

つまり今から10年以上も前に、既に過去の人として語られていたのだ。確かに80年代には一時的に日本のスクリーンから遠ざかっていた時期がある。

しかし、それは活躍の場をスクリーンからTVへ移していたからに過ぎない。90年代には銀幕へ見事に復活している。話には続きがあったという訳だ。

それどころか年間に5本の映画出演を3年連続してこなしたりと、ハリウッドの田口トモロヲ!と呼べるほどの仕事ぶり。役柄の幅も広がり、彼のいろいろな魅力が見られるようになった。

そして、80年代後半〜90年代初頭には“未公開映画の帝王”とまで讃えられるようになる。『超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ』以降の、B級映画への多数出演によって初めて彼は“帝王”という称号(どんな括りであれ)を得たのである。


例えば今夜、五十音順に陳列されたレンタルビデオ店で「タ」の行あたりを見れば、そこかしこに

“ジャン=マイケル・ビンセント IN”

の文字を目にする事が出来る。店頭でタタキ売りされている中古ビデオにも彼の作品が氾濫しているではないか。劇場では『バッファロー‘66』のロングランも記憶に新しいが、TVをつけても『刑事ナッシュ』にゲスト出演していたりと、今一番旬なのだ。

最近、JMVは何処へ行ったの?

そう思っているアナタは気付かないだけ。振り向けば彼はいつもすぐそこに居る。変わらぬクールな瞳で。

振り向けばジャン、これは21世紀のキーワードになるかも知れない。


認めよう、確かに80年代以降不遇の時代もあった。

しかし、考えてみて欲しい。彼は昔から“復活する男”であり、“帰ってきた男”であり、“不屈の男”ではなかったか。小柄な体格から、無敵の肉体派アクションスターではなかったが、彼はやる時はやる男だった。そんな等身大のヒーロー像が私は好きだった。

同じジャンでもクロード・バン・ダムのような圧倒的強さは持ち合わせていない。その代わり“怒り”や、時には“悲しみ”さえもエネルギーに変えて、勝てない筈の相手に打ち勝った。私達はそんな彼に勇気をもらった。

実生活の彼は酒と薬に溺れ、裁判沙汰の暴力事件を起こし、あげく飲酒運転から自動車事故を引き起こして瀕死の重傷を負った。


けれども彼は屈しなかった。

リハビリを行い、身を清め、驚異的な回復力で見事に復活の道を歩み出した。

人間としての弱さから身を滅ぼしかけたが、持ち前のヤンキー魂や、友人、そして強運にも助けられ、彼は自分自身に打ち勝ったのだ。これこそ私達が彼にいつも期待してきた、真の、不死身の男の姿ではなかったか。

彼は90年代、役者としてだけでなく一人の人間として私達にヒーローの姿を教えてくれた。

この経験を生かして21世紀には今まで以上に深い演技を見せてくれるであろう。そして、いつまでも“戦う男”としての勇姿も見せてくれるに違いない。


そんなジャン=マイケル・ビンセントを極東の島国からも皆で応援しようではないか。

ブラッド・ピットを見て、ふと若き日のジャンを思い出したオールドファン、
『超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ』で少年時代を過ごした者、
『バッファロー‘66』で初めて彼を観て、ちょっと気になった人、

全てのファンの為にもこのページがそんな思いにつながれば、そう考えている。

末筆ながら、このHPを立ち上げてくれた友人の操行ゼロ君に感謝したい。







2001年12月1日 Matt's dog


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